「別れたぁ?」


キャシーの声が、人気のないカラメル地方に響いた。

あたしは、放牧している動物たちを一頭一頭目で追いながら、ゆっくりと頷いた。



「え、ごめん。それ、一体何の冗談?」

「冗談じゃないわ。」


虚しく、声が響く。

心の中がすーすーと空っぽな気分だった。



「だって・・・。え・・・、ホントに?」


もう一度、こくりと頷いた。口をつぐんだキャシーが不安そうにあたしの顔を覗きこんできた。

彼女の金色の髪がゆらりと小さく揺れて、チラチラと輝く姿が目の端に映った。



あたしが何も理由を言わないことが分かったのか、キャシーはあたしを覗き込むのを止めた。

もう一度、彼女の髪が揺れるのを確認してから、あたしは一瞬目を瞑った。


しばらく、二人とも何も言わなかった。

ただ、牛や羊たちの暢気な鳴き声だけが、空気に触れて音を作り出していた。




チハヤと別れてから、ずっとこんな風だった。

彼から与えられていた、体温や音がすべて幻のように、紗がかかった向こう側の記憶として縫いとめられ、後に残ったのは空洞だけだった。

それでもあたしは、彼を求めようとする気持ちをどうしても持てなかった。


チハヤの頑なな拒否は、あたしの心を鋭利な刃物で突き刺したのと同じ行為だった。

だからあたしは、殻を作ったのだ。

もう、傷つかないための殻だった。





「・・・理由、聞いてもいい?」

遠慮がちに、キャシーが問うてきた。あたしはちょっとだけ頷いた。



「・・・分かっちゃったの。」

ぽつん、とこぼれた言葉だった。あたしの声じゃないみたいだった。

え?と小さくキャシーが聞き返した。



「あたし達って、離れちゃだめだったんだよ。」


チハヤにとって付き合うということは、ずっとそばを離れないことなのだ。

ずっと一緒にいる。自分から離れない、心地よくて安心できる存在。・・・それにちょうどあたしが当てはまっていた。

もしかしたら、彼のクセはその考えからきていたのかもしれない。

ずっと傍にいれるように、見えない糸だけでは彼は不安だったのだ。

だからずっと、私に触れていたのだ。それが彼の愛情表現だったのだ。


あたしもそうだったのかもしれない。

チハヤがずっと傍にいてくれる。手や頭に触れてくれる。瞳を見つめてくれている。


ゆらゆらとしたそんな安心感の中で、二人ともずっと泳いでいたかったのだ。



寂しかったから、すぐ近くにいる相手の存在を確かめたかったから、あたし達はお互いの体温を求めていた。

触れて、重ねて、温かさを分け合っていた。ずっとそうしてきていた。




「そばにいなきゃ駄目なの。あたしもチハヤも。独りじゃ耐えられなかった。」


「じゃあ、アカリがついていけばいいじゃない。」


キャシーは、なんでもないように言った。

それなのにあたしは、どこか責められているような気分になって、少しムキになって言った。



「チハヤが夢を叶えているのに、あたしはあたしの夢を追いかけるのをやめてまで、チハヤのそばにいるの?

そんなこと続けてたら、どっちみち駄目になっちゃうと思ったの。」


「・・・・・そっか。」



ひゅうと風が吹いた。身体の芯まで届くような風だった。

すかすかのあたしの中身に、それは染み渡るように広がって通り過ぎていった。



「あたし、ひどいね。」

「そんなことないよ。チハヤだって相当じゃん。」


「別れようって言われたとき、ちょっと楽になったの。それだけで、あたしはもうチハヤにひどいことしてる。」


「アカリ・・・。」


キャシーは一度口をつぐんだけれど、やがてそろそろと言葉を紡いだ。




「・・・一人になったら、後悔するかもしれないよ?」


あたしはちょっと目を瞑った。その通りかもしれない。

一人になればあたしはきっと、寂しさに押しつぶされる。


けれどやはり、小さく首を振った。そうすることしか出来なかった。

このあやふやな気持ちを、どうやって目の前の友達に話せばいいのか分からなかった。




「でもさ、もしチハヤと話してみたくなったらそん時は言って?連絡先教えるからさ。」



あたしは小さく笑って、もう一度首を振った。

そんな気持ち、もう二度と芽生えそうにもなかった。


キャシーがくしゃりと顔をくずして、辛そうな表情をしていた。

彼女の明るい深緑色の瞳が震えている。


あたしは、それでもなにも言えずに、ただ黙って彼女の瞳の中にいる自分の姿を探していた。




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