空を仰いでみたら、薄っすらと色素の薄い青空が広がっていた。
冬ももう訪れているというのに、今日はどちらかというと秋に近い気候だった。
わたしは、あの日からキルシュ亭に通うことをやめてしまっていて、お弁当を持参するようになっていた。
今日は、サンドイッチを久しぶりに作ってみた。
ちょっと形が悪いけど、天気もいいことだし、わたしは軽くピクニックな気分で釣りをしに来ていた。
釣りなんて久しぶりだったのだけれど、こうやって糸をたらしてぼんやりとするのはいいことかもしれない。
最近は考え事ばっかりで、ぼーっとする暇なんてなかったし、頭の中で整理したいことがたくさんあった。
「アカリさん?」
「あ、タオさん!」
「奇遇ですね。釣れてますか?」
「全然、やっぱり難しいもんですね。」
わたしは、まだ空っぽのバケツを意味もなくくるくると回した。バケツはからんと虚しい音を立てた。
タオさんはよいしょ、とわたしの隣に腰を下ろして、さっそく釣り糸をたらし始めた。
「でも、ぼんやり空とか山とか見ながらって、いいですね。最近忙しかったから。」
「そうですね。きままにやることが一番ですよ。」
ほんわかしたタオさんの雰囲気の中にいると、なんだかわたしまでほんわかとした気分になる。
いるだけで人を穏やかにすることが出来る人って、羨ましいなって思った。
「ねえー、タオさん。」
「はい?」
「タオさんには好きな人っていますか?」
「・・・いきなりですね。」
「あ、すいません。」
あははと軽く笑って、わたしはタオさんを見た。
タオさんは釣り糸の方に顔を向けながら、そうですねーっと返事を考えてくれているみたいだった。
恋愛の話とか、あんまりしたことがなかったわたしには、たとえ軽い調子のやりとりでも、なんだかひどく新鮮だった。
相手はタオさんだしね。やっぱり一緒に釣りをしてるリーナが気になってたりとかするのかな?
「アカリさんにはいるんですか?」
「・・・・・・えええ?わたしですか?」
「はい。」
「って、タオさん。話すり替えたでしょ!」
くすくすとタオさんが笑い始めた。わたしは、なんかちょっと面くらって、汗が出てきた。
「あ、そうだ。タオさん。お昼ごはん食べませんか?わたしサンドイッチ持ってるんです。」
ちょうどお昼近くになっていたし、話を変えたくて、わたしはサンドイッチの入ったバスケットをタオさんの前に差し出した。
「わ、本当ですか。でも、いいんですか?」
「はい、遠慮なさらずにどうぞ。」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。いただきます。」
一切れのサンドイッチを手にとって、タオさんは食べ始めた。
わたしもお腹がかるく空いてたから、タオさんと同じように一切れのサンドイッチをかじって口に入れた。
頭を上に向けると空が薄くて、ひとつも雲が浮かんでなかった。本当に秋みたいな空だった。
「アカリさんには聞くまでもなかったですかね。」
「え?」
わたしは視線をタオさんの方へと戻した。
タオさんは、もくもくとサンドイッチを頬張っていた手を止めて、わたしの方を見た。
「チハヤが、好きなんじゃないんですか?」
「それは、友達としてという意味なら、好きです。」
「恋愛としては?」
「・・・・考えたことないです。」
「そうですか。」
わたしは困惑してしまった。どうして、タオさんもキャシーと同じようなことを言うんだろう。
チハヤの後ろ姿が眼に浮かんだ。
くしゃくしゃした明るいブラウンの髪の毛と、ヘアピン。
いつも着ているシャツとエプロン。
もう、何日チハヤに会ってないんだろう。・・・日にちを覚えているあたりちょっと自分が嫌になる。
「サンドイッチ、おいしいですね。」
タオさんの言葉に、わたしは眼の裏に映るチハヤの姿を消した。
「ほんとうですか?よかった。」
「チハヤに習ったんですか?」
「え、なんで知ってるんですか?」
わたしは驚いてタオさんの方を見た。
くすくすとまたタオさんは笑った。
「あっ!タオさん竿引いてますよ!」
わたしはパシパシとタオさんの背中を叩いた。
タオさんは、慌ててるわたしを尻目にひどく落ち着いた調子で、竿を上手い具合に操った。
わたしは水に浸かっている釣り糸が、左右にぐいぐいと動いている様をじっと見つめていた。
少しの時間が経って、タオさんの釣り糸の先っぽにけっこう大きな魚がくっついて陸にあがった。
「わ、大きい。すごいですね。」
タオさんは、上手に魚の口を釣り針からはずすと、わたしのバケツの中に水を汲んだ後に魚を入れた。
「これは、サンドイッチのお礼です。」
にこにこと笑いながら、タオさんはわたしの前に差し出してくれた。
「え、いいんですか?」
「ええ、遠慮せずにどうぞ。」
「ありがとうございます。」
わたしは、嬉しくって、バケツの中で窮屈そうに泳いでいる魚を見た。
ゆらゆらと泳ぐその姿をみたら、食べてしまうのがもったいなく感じた。
「・・・キルシュ亭のサンドイッチと味が似てたんです。だから、そう思ったんですよ」
タオさんの言葉にわたしは、目をぱちぱちと瞬きした。
「私が言うのもなんですが、キルシュ亭行ってくださいね。彼、寂しがっているようだから。」
タオさんの声がわたしの頭に響いた。なにを考えたらいいのか、なんて答えたらいいのか分からなかった。
もう一度、チハヤの姿が眼に浮かんだ。
サンドイッチを教えてくれたことを、その時のチハヤを、わたしは今も鮮明に覚えていたんだと思った。
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