ほかほかと湯気を立てていたピラフは、いつの間にか軽く冷めてしまっていたのだれど、

油加減とかお米の硬さとかがちょうどよくて、本当においしくて、わたしはあっという間に平らげた。


腕時計で時間を確認してみると、2時30分だった。

チハヤのお昼休憩っていつだったけ?ってぼんやりと思いながら、わたしはキルシュ亭の中を眺めていた。

マイの姿があれから見えないのが少し気になって。でも、誰にも何も尋ねれなくて、ちょっと自分が嫌になった。


キッチンから誰かが出てくるたびに、それはコールさんだったりユバさんだったりするのだけれど、

チハヤが来たのかと思って、わたしは頬を固まらせていた。

どんな顔をしたらいいのか分からない。キャシーに言った言葉は、気持ちは、今だって変わっていない。


ただ、チハヤの気持ちを踏みにじっていることが嫌だった。






「・・・チハヤ。」


キッチンから出てきた人影を見た途端、わたしは一瞬だけ逃げ出したくなってしまった。

ぐっとお腹と手に力を入れて、椅子から少し腰を浮かす程度で抑えて、チハヤを見た。


「おまたせ、アカリ。」


そこには、あの日と何も変わっていないチハヤの姿があった。

くしゃくしゃの髪も、わたしが一番好きな紫色の瞳も、真っ白なシャツも。

あのままのチハヤだからこそ、わたしの頬は固まったままで、なんて言葉を先に紡げばいいのか分からなかった。



「・・・話って?」

「チハヤ、あのね。・・・えっとね。」


どうしよう。早く言わなきゃ。チハヤだってお昼休憩なんだから、ご飯も食べなくちゃいけないのに。

そんなあせりがわたしの口をさらに黙らせてしまって、わたしはぐずぐずと視線を泳がせていた。


「アカリ?」


「えと・・・、チェリーパイとクッキー、ありがとう。おいしかった。」

「ああ、うん。」


それだけじゃない。まだチハヤには言いたいことがあったし、言わなくちゃいけないことがあった。

それなのに、言葉が出てこなかった。口から次の言葉を出すことが、ひどく難しいように感じた。


時計の針の音が、わたしの耳に響いた。

いつもよりも早く感じるそれは、心臓みたいにひどく近くにあるみたいだった。



「・・・チハヤ。わたし、話がしたくて来たの。・・・今話せる?」


精一杯出した声は、思ったよりも小さくて、チハヤの耳に届いたかどうか不安だった。

チハヤが、口を開くまでのちょっとした沈黙が重く感じた。


「・・・分かった。ちょっと、外出ようか。ここで話すのはあれだし。」

「うん。」


キルシュ亭から二人で出ると、わたし達はゆるゆると歩き始めた。

チハヤと肩を並べて歩くのは久しぶりで、触れているわけでもないのに、チハヤに近い右肩が熱かった。

広場に着くまで、ずっとふたりとも無言だった。わたしは、いつ言おうかとタイミングばかり計っていた。


「チハヤ。」


立ち止まったチハヤとわたしは向かいあった。

もう、あの雪がちらついた日のような気持ちだけにはなりたくなかったから。

だから、わたしはチハヤとちゃんと向き合った。




「ごめんなさい。」

「わたし、チハヤにひどいことした。チハヤを傷つけたし、嘘もついた。それを誤りたかったの。」


「アカリ。」

「どうして、僕のこと避けていたんだい?」



「・・・わたし、チハヤと離れるのが怖かった。チハヤが恋をするのはわたしじゃないって思ったの。

その時、わたしはきっと一人ぼっちになっちゃうから、それが怖くて、チハヤから離れようって思ったの。」



すうっと、視線があった。チハヤの瞳に映ったわたしは、もう視線を外さなかった。

わたしは、きゅっと唇を結んだ。


「でも、わたしチハヤが好き。

勝手なことばかり言ってごめんね。でも、チハヤのこと、恋愛感情として、好き。」



そっと呟いた言葉が、わたしのチハヤに対する気持ちすべてのように思えた。

マイに言ったときとは全然違う。

こんなに、言葉に重みがあるなんて知らなかった。胸の中が、沸騰してしまったかのように熱かった。


わたしはたまらなくなって、俯いて、ぽたぽたと頬に涙を転がした。

泣くなんて筋違いだ。何度も思ってたことだったのに、今はなにも考えられなくて、ただ涙だけが溢れていた。



「・・・勝手だよ。アカリは。」


俯いていたわたしの頬を、チハヤは両手で包んで顔を上げさせた。

涙でぐしゃぐしゃになっているわたしの頬においたチハヤの手が、熱かった。

チハヤの瞳が、怖かった。わたしは、蛇に睨まれた蛙のような気持ちになって、ただチハヤの瞳を見つめていた。



「僕がどんな気持ちになったか、分かるかい?」


「・・・ごめん、なさい。」

「許さない。」


頬を包んでいたチハヤの手が、わたしの肩に回って、ぎゅって、抱きしめられた。

わたしは頭を、チハヤの肩に押し付けられて、頬に転がっていた涙がチハヤのシャツに落ちてしまった。

力いっぱいの抱擁が、わたしの心まで締めつけて話さなかった。


「もう絶対、こんなこと許さない。」

「ち、はや。」


「勝手。すっごく勝手。僕の気持ち、聞かずに避けて、嘘ついて。」

「うん。」

「なのに、好きっていうんだ。アカリは。」


抱きしめられる手が緩んで、わたしはチハヤと目を合わせた。

もう、怖くなかった。

ただ、綺麗だと、やっぱりわたしが一番好きなのは、チハヤの瞳だと思った。


「悔しいな。それでもやっぱり僕は、アカリのこと考えちゃうんだ。」


わたしは、驚いて目を瞬かせた。

さっきまで溢れていた涙は止まって、ただぐちゃぐちゃになった頬が固まって。

わたしは、信じられない思いでチハヤを見つめていた。


「嘘。」

「嘘じゃないよ。」


こつんと額と額をくっつけられて、わたしは口を閉じた。。

ただ、嬉しくて、夢をみてるみたいで、目が覚めてしまうじゃないかと思うくらい信じられなくて。



「好きだよ。」


瞼をそっと閉じて、チハヤの瞳が隠れて、そっと触れた唇が雲を食べているみたいだった。

わたしは、自分でも気づかないくらい静かに、涙を流した。



そっと、確かめてみる。

わたしたちの間の中にあったのは、なんだったのだろう。

友情でもなくて、愛情でもなくて、でもどちらも含まれているような何か。

硝子細工のように透明で壊れやすくて。でもそれを支えに、わたしたちは繋がっていたのかもしれない。





「今日、家に行ってもいいかい?」


なんて答えたかなんて覚えていなかった。

ただ、笑顔でわたしは頷いた。




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