「アカリ?」
声をかけても、アカリはじっと動かなかった。カルバンさんからもらったという小さな試験管をしきりになでている。
「ねえ。」
「話かけないで。今、マリッジブルー中だから。」
「・・・なんか、言葉の意味間違ってない?」
思わず、眉根をひん曲げた僕の顔をアカリが見ることはなかった。
「ふふ、だって独身なのは今だけでしょ?」
試験管に息を吹きかけないようにしながら、彼女は軽やかにそういった。
ひどく楽しそうで、不満顔をしているのは僕だけだ。本当に、気に食わない。
「そりゃそうだけど。」
隣でこちらを見てくれないアカリの頭に手を置いて、
軽くひっぱたりして気をひこうとしても、やっぱり彼女の瞳は試験管にそそがれていた。
「それに、もう少しこれを見ていたいの。」
そおっと、指の腹を押し当てながらアカリはささやいた。
試験管の頭からお尻までゆっくりとなぞっている。
無機質な硝子にアカリの指紋がするすると細長い模様となってついていくのが見て取れた。
僕は、アカリの人差し指が試験管のお尻から今度は頭にかけてなぞり始める前に、アカリの手首を掴んで試験管を取りあげた。
「あ。」
アカリが小さな声を上げた。やっと、彼女の瞳が見れた。機嫌をそこねた子供のような表情だけれど、そんなのおあいこだ。
「僕より、羽の方がいいんだ。」
軽く試験管を振る。それと合わせて、アカリの瞳もころころと揺れた。
「返してよ。」
「もともと僕があげたものじゃないか。」
「今は私のでしょ。」
ちょっと怒った声。かまわずに僕は、試験管の中からすっと中身を取り出した。
先週あげたときと変わらない、形も色も肌触りも、すべて僕が手にしたときのままだった。
一本一本生えた毛を、慎重にゆっくりとなぞるとはらはらと軽く揺れた。
「ちょっと、チハヤ。」
アカリが少し戸惑いながら手を伸ばしてきた。心なしか頬が赤い気がする。
僕は、彼女が伸ばしてきた手をとると、手のひらの腹を上にしてすこし撫でた。
温かくて、心地よかった。ころんとテーブルに転がった試験管を、アカリはもう目の端にも止めておらず、ただ僕だけを見ていた。
思わず、微笑んでしまいそうなほどきゅうっと胸が締まった。
戸惑うアカリをよそに、僕はそおっともう片方の手に持っていた羽をアカリの手のひらの上に置いた。
軽い羽は、それこそ飛んでいってしまいそうだったので、アカリの指で軽く握らせるまで、僕は息をひそめていた。
「・・・チハヤ?」
「好きだよ、アカリ。」
「だから、結婚して?」
かあああ、と真っ赤になる彼女の顔を見て、僕は今まで溜まっていた不安がやっと解消されたように思えた。
熟したトマトみたいな顔をしたアカリの口から、ぱくぱくと金魚みたいな呼吸音が聞こえてくる。
くすくすと笑ってやったら、真っ赤な顔のまま、「恥ずかしい」とか「先週言ってくれたじゃない」とか小さな声で抗議の嵐が聞こえてきた。
「だって、アカリのせいだよ。」
マリッジブルーなんて言うからだ。
そう言って、僕はいじわるく笑ってやった。
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