「あなたは、・・一人にはならないよ。」
それは、突然口の中から飛び出てきた言葉だった。
声の主である私でさえ、びっくりした。
気づいたら、心の中にある水液の中に、ずっと沈めておいた言葉をひとつひとつ拾い上げていた。
そして空気にのせて、彼の耳に滑り込ませていた。
それはずっと、心に秘めていた言葉だった。私だけが収めていた言葉だった。
コーヒーの匂いが鼻をかすめる。
もしかしたらコーヒーに酔ってしまったのかもしれない。
おかしな話だ。
何杯も飲んできた自家製のコーヒーに、今さら酔っ払ってしまうなんて。
それでも今は酔ってしまったことにしたかった。
目の前にいる人の、もしかしたら心の中を探ってしまうような言葉を私は発してしまったのだから。
「…ヒカリは、…不思議なことをいうね…。」
ぽつりぽつりと、小道の上に降り始めた小さな雫のように、魔法使いさんは言の葉を落とした。
分かっている、彼の言葉の意味は、よく分かっている。
それでも、否定してくれない彼は、どうしてこんなに優しいのだろう。
「だって…。」
ふいに泣いてしまいたくなった。
頬に雫を転がしたら、変化が訪れるというわけではないのに。
それでも、泣いたら私の心のわだかまりも、一緒に流れていくのではないだろうかと、そう思ってしまう。
私の顔を見たのか、ぽんっと魔法使いさんは私の頭の上に手を置いた。
髪の毛の間から、彼の手の温かさがじんわりと伝わってきた。
人でも、魔法使いでも、それは同じように優しい手の温かさだった。
「でも…ありがとう。」
ほらだって、たった五文字の言葉にこんなにも胸がきゅうってなる。
切なくなる。愛おしくなる。
彼の言葉の一音一音を優しく手で撫でて、胸の中にいつまでもしまっておきたくなる。
魔法使いさんは、すっ、と手を差し伸べてくれた。
私は、小さく微笑みながら、彼の褐色の手を取った。
初めて手を繋いだとき、まるでオセロみたいだと彼が小さく笑っていたのを思い出した。
手をつなぐ。引き寄せられる。
ひとつひとつの動作が、こんなにも切なくなる。愛おしくなる。
ああ、やっぱり私は、魔法使いさんのことが好きなのだ、と実感する。実感することができる。
彼の胸に耳をおく。
とくんとくんと、魔法使いさんの心臓の音が聞こえてくるのを確かめて、耳の奥にまで収めておく。
彼はあと、一体どのくらいこの心臓の音を鳴らすのだろうか。
私とはまた違う作りをしているかもしれないその心臓の音は、ひどく優しく、そして力強く聞こえた。
きっと私の心臓よりも長生きする、
この彼の心臓の音をずっと聞いていたい。そう、思った。
肩におかれた手が温かかった。よかった、まだ感じることができる。
私が安心していると、彼がゆっくりと話しかけてきた。
それは、言葉というよりも、メロディーに近かった。そう思うほど、耳の中に心地よく響いた。
「俺も・・・。ヒカリの瞳が閉じるその瞬間まで・・・、ずっと、一緒にいたいって・・そう思う・・。」
こくりと、私は頷いた。
それ以上の言葉は、私たちにはいらなかった。
ただ、ぎゅうっと抱きしめて、お互いの肌の温かさを知るだけでよかった。
他にはなにもいらなかった。
きっと、腕いっぱいに互いを抱きしめてる中で、私たちが考えていることは一緒だから。
ゆっくりと、瞼を閉じる。
彼の肌の温かさを、私も肌で感じ取りたかったからだ。
二人でベッドに倒れる。
柔らかい布団の中で、枕に頭をふたつ並べて。
眠ってしまう前に、彼を見る。瞳がぶつかる。ふいに、泣いてしまいそうになった。
きっと私は、何度もこの光景を見るのだろう。
その度に、定められた砂時計の砂粒の数を、頭の中に思い浮かべるのだろう。
時間が止まって、砂時計なんて消えてしまえばいいのに。
そう思うと、頬に小さな雫が転がり落ちてしまった。
それに気づいたのか、魔法使いさんがそおっと人差し指で掬ってくれた。
そして、私の額に小さくキスを落としてくれた。
私は小さく笑った。魔法使いさんも、私につられて小さく笑った。
それだけでいい、充分だ。
私にはもったいないくらい、この人は私にすべてを委ねてくれる。
瞼を下ろす。
魔法使いさんが見えなくなっても、隣にいる彼の体温を感じることができる。
この繋がりが、赤い糸で繋がっていたらいいのに。
もし、この先、別れることがあったとしても、もう一度繋ぎ止められて、引き合えるように。
瞼をあげると、まだそれほど時間がたっていないのだろう、
朝を伝える小鳥の鳴き声も、窓から差す光の一片も見ることができなかった。
隣を見ると、すぐ横に魔法使いさんの顔があった。
ああよかった、また出会えたね。声には出さずに、心の中で私はそう思った。
そおっと、魔法使いさんの小指と私の小指をくっつけてみる。
魔法使いさんは、すやりと眠ったままだ。
小指のほんのわずかな触れているところから、彼の温度が私の小指に伝わってきた。
浅黒い彼の肌は、私の指を隣に置くと一層際立ち、とても美しかった。
小指と小指の間に、小さくて細い赤い糸がゆるりとあるかのように、
私は彼と私の小指を離さずに、
隣で、小さく寝息を立てる魔法使いさんの存在を確かめながら、もう一度瞳を閉じた。
さよなら、そう言わなければならないときまで、まだ時間はある。
それは、今だからできる、最高に幸せな一時だった。
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