「すっごくすっごく幸せになれるモノがあるの。」
「どうしたんだい?」
船でぴゅうっと、どこかに行っていたかと思えば、半月経った今日帰ってきて、アカリは突拍子もないことを僕に告げた。
僕は、海のにおいを携えて(きっと船に乗っている時、ずっと海風にあたっていたのだろう)、
戻ってきたアカリの顔を見るだけで、ちょっとびっくりしてるというのに。
ちょっと伸びた髪。
なおいっそうすき透ったまっすぐな視線。
(海をみてきたからだろうか、彼女の焦げ茶色の瞳の奥に、ちらちらと藍の色が見えるような気がした。)
前よりも少し細くなった四肢。
夏に向けて少し焼けた、健康な肌。
思えばアカリとは、半月も会っていなかったのだ。
彼女は、ぷいっと南の島に行くことはよくあったが、こんなにも長く顔を見ていなかったのは、初めてだった。
「とにかくすっごくいいものなの。」
「そんなこといって、ドッキリ…とかじゃあないだろうね。」
「そんなものじゃないったら。」
少し大きな声で、アカリは僕の言葉を押し退けるように言葉を発した。
彼女の声は、ぴんと空気に張っていて、どこまでも突き抜けそうな、よく透った声だった。
「じゃあ、そのすっごくすっごく幸せになれるそれを、僕にくれるのかい?」
すっと右手を出した僕の手を見つめながら、アカリはちょっと考えるふりをしながら、僕の右手にぽんぽんと左手を乗せた。
アカリの手の中には、何もないようだった。
それでも、久しぶりに触れた彼女の手の温かさに、すこし心を満たされている自分がいる。
ちょっと悔しい、けれどそれが事実。
「さあね。」
「私の家に来てくれて、ハーブティーと簡単なおやつを作ってくれるなら、ちょっとだけ考えてもいいよ。」
ふふっ、と笑いながらアカリは、追加注文を言った。
「なにそれ。」
「家に遊びに来てって行ってるの。」
にこりと笑いながら、アカリは言った。
その顔が、イタズラを考えている子供そっくりの顔だったから、僕はどうしようか迷ったけど、
半月以上も会えなかった彼女のお誘いに、考えるまでも断れるわけがなかった。
「いいよ・・。もうちょっとで仕事終わるから。」
「あれ?今日は早いんだね。」
時間を見ると、まだ彼が仕事を上がる時間よりも幾分か早い時刻を指していた。
「早番だったんだ。それに、さっきからマイが早く行けって合図出しっぱなしだし。」
僕がほら、と指差したほうを見て、アカリはちょっと目を丸くしていた。
ずっと僕に手を振って、帰るように促していたマイは、アカリの視線に気づくと、こちらもビー玉のような瞳をくるりと丸くして、
慌ててアカリに取り繕った笑顔を見せた。
「マイちゃんは、いい子だね。」
「半分おもしろがってるよ、あれ。」
「そーかなー?さ、マイちゃんのお許しも出たし、さあさあ私の家にいらっしゃい。」
にこりと微笑まれる。
ああ、もう。またそれだ。
絶対誰にも揺れないと思っていた僕の心に、アカリはいとも簡単に進入してくることが出来る。
「ね?」
「そだね。たまにはアカリの言う事も聞いてあげようかな。」
そう言いながら、僕は仕事を終えるために厨房に足を向けた。
「もーなにそれ。まるで私がいっつも我が侭いってるみたい。」
「どーだかね。」
「もーチハヤー。」
後ろから聞こえる不満声を笑いながら、僕は厨房に入った。
耳に残るアカリの声が、なんだかひどく心地よかった。
「で、いつになったら見せてくれるつもりだい?」
キルシュ亭での仕事を済ませて、僕とアカリは、アカリの牧場への道を二人で歩いていた。
くっつくかくっつかないか、そんな微妙な距離の影が、二人の後ろで歩いている。
「んーとね、まず家に着くでしょ。それから、チハヤにおいしいハーブティーを淹れてもらってから。」
「そんなにひっぱって、僕が驚かなくたって知らないから。」
そうこう言っていたら、彼女の牧場が見えてきた。
「ぜーったい、驚くから。」
アカリは、いらっしゃいと家のドアを開けて招き入れてくれた。
「かけるかい?」
「いいよ。」
ふふっと明るく笑った顔は、勝ち誇った顔をしていて。
ただでさえ久しぶりに見るアカリの顔で、こんな風にいろんな表情を見れるだけで、
なんだかもう充分幸せになっている気がした。
。。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。。
私の手の上に、透き通るような青色をした、一枚の羽が乗ったときに、
なんだかこの上もないような幸せを掴んでしまったような気がした。
私の肌を通して、溶け込んでしまうんじゃあないかと思うほど、細くてふわふわとした一本一本の羽毛。
どこまでも澄み渡る海の色をしたその羽の色は、見ているだけで不思議な高揚感を与えてくれた。
少し力を入れたら、はらはらと消えてしまいそうなその羽の中に、
恋人たちのための幸せが詰まっていると思うと、なんだか不思議だった。
これを渡したとき、チハヤは喜んでくれるだろうか。
「かけるかい?」
「いいよ。」
だって絶対驚くに決まってるわ。
手の平の上に乗せただけで、私はどうしようもなく幸せになれるような気がしたんだもの。
もし、私の申し出を受けることができなくても、
チハヤのまぶたの裏に、この羽の染み渡るような青さが焼きついてくれたらいい。
そうしたら彼は幸せになってくれるような気がした。
ポケットの中に入っているビックリ箱を渡すまで、あと20分くらい。
まずは、彼においしいハーブティーを淹れてもらおう。
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