パチパチと暖炉の中で、薪が燃える音で私はふっと、まどろみから目を覚ました。
重たい瞼を、なんとか持ち上げながら、ポカポカと温かい部屋の中をゆっくりと見渡した。
二人がゆったりと座ることが出来る大きさの、ふかふかのソファに座っていた私の膝から、
落っこちそうになっていた薄っぺらい膝掛けをずりあげた。すっかり冷めてしまった紅茶が、所在なげに小机の上で縮こまっている。
ゴトっと、薪が炎の力で焼かれ、暖炉の中で落ちる音がして、それとほぼ同時に、にゃあっと気の抜けた柔らかな音が聞こえ、
私は反射的にそちらに気を向けた。
真っ白な猫が、私の方に向かって歩いてきている。
すらりとした足が交互に前に出る姿は、どこか気取っているようにも見えるし、たどたどしいものにも感じた。
新米のモデルが歩いている姿と重ね合わせながら、私は白猫が足元に来るまで辛抱強く待っていた。
「シファナ。」
呟くように言った私の言葉を、シファナはきちんと理解し、こぼれてしまいそうなくらい大きな翡翠色の瞳をこちらに向けて、
さっきの私の声と同じくらい、小さくにゃあと鳴いた。私は、シファナを抱き上げると、よく出来ましたとばかりに顎を撫でた。
ごろろと気持ちよさそうな声を出して、シファナが鳴いたのに私が満足していると、
最近、ダイさんが取り付けてくれたインターフォンが部屋の中に響いた。
驚いてぴくりと耳を大きく立てたシファナの頭を、もう一度軽く撫でてから、
私は沈むように座っていたソファから,、名残惜しく立ち上がると、ドアを開けに向かった。
ドアを開けると、その向こうはすっかり銀世界だった。ぱらぱらと舞う粉雪が私の前髪にふりかかり、チカチカと眩いている。
暖かな暖炉の灯りの色に慣れていた私は、あまりの真白さに、一瞬だけ目を瞑った。
「アカリ。」
聞き慣れた声がして、瞑っていた瞼を上に持ち上げて目の前を見ると、
寒さのせいか耳や頬を赤くしたチハヤが、マフラーに顔を埋めて私を見つめていた。
少しだけ、潤んでいる瞳も寒さのせいなのかもしれない。
けれど、いつもとは違うそんな変化に、チハヤの溶けてしまいそうな瞳を見つめながら、私は思わず胸を跳ねらせた。
「チハヤ、どうしたの?」
「ふふ、ちょっとね。」
「とりあえず寒いし、上がって?」
「うん。」
私の声に緩く頷くと、チハヤはのろのろと玄関から部屋に入っていった。私は、チハヤからマフラーとコートをはぎとると、
パンパンとくっついていた白い斑点を玄関に払い落とした。
ぱらぱらと散っていく白い妖精たちは、私の指先を存分に冷やした後、あっさりと地面に舞い降りて溶けていった。
チハヤのコートを玄関脇にかけておいてから、私はあらためて彼を見た。
すこしだけ、足元がおぼつかない気がする。
いつもすっと身体を伸ばして、はきはきと歩くチハヤだから、いっそうその歩みは危うく見えた。
私は、チハヤに近づくと、そっと背中に手をおいた。
冷たいと思っていた彼の背中は、ふうわりと温かかった。
ソファの足を背もたれにして、絨毯の上に二人で座った。
座ると同時に、頭一つ分の重みが左肩にかかってきた。
肩に乗った明るい髪の毛を見つめながら、私は軽くチハヤの腕を掴んだ。
「ねえチハヤ。ひょっとして、酔ってる?」
「んー?」
「もー。水持ってこよっか?」
チハヤが酔っ払うまで飲むなんて珍しい。
さっきは気づかなかったけれど、いつもは真っ白な彼の白目が、酒が回っているのか少し赤くなっていた。
私が、チハヤの顔を覗き込んでいたら、急にふっと葡萄色の瞳が消えて、私はぎゅっと横から抱きしめられた。
ちょっと温かすぎるくらい温かいチハヤの体温が、私を閉じ込めるように包み込んで、私は身動きが取れなくなってしまった。
「酔ってるって言ったら、このままでいてもいいのかい?」
おでこを私の肩に押し付けていたから、チハヤの声は少しくぐもっていた。
肩から直接響いてくるチハヤの声は、私を母親のお腹に宿った胎児のような気分にさせた。
「なに言ってんの。」
「アカリ。」
ふっと、影が落ちた。
近づいてくる葡萄色の瞳を、私はゆっくりと受け入れた。伏せた瞼の上を口付けられる。
くすぐったくて、小さく笑うと、今度は唇に一つ。二つ、と重ねられた。
「・・苦い。」
「はは、そりゃそーだよね。」
口元を私の耳に近づけてきたチハヤが、おかしそうに肩を震わせた。
お酒の匂いが空気に触れて、私の鼻腔をくすぐった。
「ねぇ。このまま襲っちゃおうか。」
「嫌。」
「ふふ、そくとーだあ。」
軽く眉をひそめた私の頬を、さらりと撫でてから、チハヤはくしゃりと笑った。
酔っ払ったチハヤの頬は緩んで、赤くなっていた。そっと手を伸ばしてチハヤの頬に触れると、じんわりと温かかった。
どうして、そんなに飲んだの?
そう聞けないのは、私が臆病者だからだ。
こうやって、チハヤが甘えてきてくれる。それだけで、私の胸の中はいっぱいになってしまう。
目の裏で一瞬、真っ白な雪たちが空を舞う姿が飛び込んできた。
もう一度、目を瞑ったけれど、真っ白な雪はもう瞼の裏には映らなかった。
チハヤの赤い頬を見つめていると、膝元でにゃあっという鳴き声が聞こえて、私は気をとられてチハヤの頬から反射的に手を引いた。
私の膝に右の前足を乗せたシファナが、もう一度にゃあっと甘えた声で鳴いてきた。
「チハヤって、猫みたいだね。」
「なにそれ。」
眉をひそめるチハヤをお構いなしに、私はシファナの方に顔を向けた。
「そんな感じがしたの。ねーシファナ。」
にゃあっと返事をしたシファナの真っ白な毛並みを、
チハヤのコートの上で踊っていた妖精たちの姿と重ねながら、溶けてしまわないように、そおっと撫でてやった。
気持ちよさそうに目を細めるシファナの姿に、思わず頬が緩んでしまう。
「アカリ。」
尖った声が聞こえて、え?って思う暇もなく、いきなり頬の両側を押さえられて、ぐいっと顔をあげさせられた。
驚いて、私の頬を挟んでいる手の持ち主の顔を見つめると、ぎゅっと抱きしめられた。
ほんの一瞬しかその表情を見ることが出来なかったのに、お酒のせいですこしとろけていたチハヤの顔が、
きゅっと不機嫌な表情を作っていたことに、ぐいっとチハヤの胸に押さえつけられながら、私はただただびっくりしていた。
これもお酒のせいなのだろうか。
「チハヤ?」
「独占させてよ。」
ふふっと、楽しそうに笑ったチハヤは、もう一度ぎゅっと私を抱きしめた。
シファナが鳴き続けているのに、私はもうシファナの方を見ることが出来なかった。
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